[Return] 2007年1月 ガバナー日記
2007年 元旦
昨年来のガバナーエレクト不在のために、この2ヶ月いろいろ大事なことが起きた。遅ればせながら書きとめていたメモから日記風に綴ってみることにした。

晴れのち曇り
静かな元旦を迎える。しかし心は平穏ならず。昨年から引きずっているガバナーエレクトが確定しないからである。昨年末が限界だとRI日本支局は言ってきた。12/29の指名委員会でも決まらず持ち越すことになった。どうなるのか心配だが、パストガバナーから決めて頂くことになっている。1/11の指名委員会には決まる筈だ。
未知の経験に備えて準備していた昨年の今頃とを比較すると楽である。少し気懸かりであるが、下半期の活動について考える。1歩後退から2歩前進への足がかりにCLPの促進を行いたい。IMを終了したならばガバナー補佐と相談していく積りだ。それにしても1/1現在の会員数も気になる。公式訪問を終えた今、下半期にかける気持ちははやる。
1月5日(金) 
晴れ
渡邊隆パストガバナー癌摘出手術、全快を祈る。重田RI理事より電話にてガバナーエレクト確定作業の状況を知らせて欲しいと言う。11日にパストガバナーから選出することを知らせる。もし確定なくばRIより指名することになるというが、11日までに確実に決めて欲しいと言う。2月号の月信の原稿を仕上げる。
周りの状況からガバナーエレクトの確定が少し心配になってきた。
1月8日(月) 
晴れ
異常に発達した低気圧は二日間続き、荒れに荒れた。今日は穏やかな陽気である。この冬は例を見ないほど暖かいだ。昨年のような豪雪の便りはまったくない。昨夜重田理事から電話、状況進展していない旨答える。同じ状況の2540地区(秋田県)は現ガバナー続投になったと言う。同期のガバナー松浦さんである。大変だなと思う。松浦さんに電話する。国際協議会に行くことになり、急いで準備しているという。一緒に行こうというが、とんでもないことだ。今にもパストガバナーから知らせがあることを鶴首して待つ。
1月11日(木) 
晴れ
昨夜と今朝までに2回の電話、いづれのパストガバナーも引受けられないとのこと。一体どうなるのか。午後の指名委員会では重苦しい沈黙が流れる。4時までと切られている。決断しなければならない。
昨日、例会終了後万一このようなことが起こった場合を想定して地区幹事団、会長・幹事、パストガバナーと話をしておいた。一クラブの支援は無理であるので数分区で応援しなければならない。それについてクラブ側は、もし続投なら今までの延長で応援すると言う温かい言葉を頂いた。今までの献身的な応援の上にさらにもう一年と言うことでありがたかった。しかし、その場合、これからのガバナー選出に従来の方法とまったく変わらないことから分区に応援をお願いしてみることを伝えた。そうなった時には影ながらバックアップするからと言われた時には自クラブの温情に思わず涙が出てきた。
前日話し合いをしたことを胸に秘め、指名委員会に出席したが、相変らず策がない、決まらないままである。まったく埒があかない。沈黙が続く。
その場で続投すると決意し、発言したのが15時15分であった。それからRI日本支局に連絡し確定の知らせをした。続く諮問委員会ではその旨を伝え了解を得た。なにが原因であるかと言う話もでない。そのまま千葉西クラブを中心とした7クラブの合同新年会に出席し、挨拶の中でガバナーエレクトの確定を知らせた。みな驚た。帰宅し家内に告げたところ猛烈な反対にあう。これが4〜5日も続いた。無理もないと思う。このような状態の中でRIへの書類の提出におわれ、この先どうなるのか見当がつかない。
WCSでフイリッピンの現況視察旅行もドタキャンせざるをえない。昨年は高熱でドタキャン。二年連続だ。
1月16日〜17日(火)〜(水)
曇り
この数日、家内とは毎晩話をした。自分自身反省すること多く、正面から向かい合うことの大切さを知る。少しづつ理解を示してくれた。今日、RI支局からボイド会長が承認のサインをしたのでアクティングガバナー・エレクトになったと言う。2月のRI理事会で承認されるとガバナー・エレクトになると言う。
急ぎ第3分区A,Bのガバナー補佐にお願いして分区内13クラブの会長に集まって頂き、17日に今回の続投を知らせ、二つの分区の支援を要請した。急な話だが、理事会の承認を得ると言うことで幹事団の選出をお願いした。皆さん好意的にご理解いただきひとまず安心した。
このところIMの挨拶文や周年記念の挨拶文に追われる。それと二度目の国際協議会に行かなければならないのでその準備もある。事務局の女性職員の都合も聞くが了解してくれる。事務局はかなりハードになるだろう。しかし下期後半のガバナーとしての務めがある。オーバーラップするために思い切った行動が取れない。
国際協議会に家内も同行することになる。
例会に出席姉崎高校の白鳥校長だ。県下ワースト3に入っていた高校を見事に改革しきちんとした学校にした校長の人の話である。今おかれている立場を考えると身につまされる。勇気、ヒントを得る。実にタイムリーな卓話である。
1月20日(土)
曇り 寒い
香取神宮の高橋宮司さんからIMに手渡す賞状が届いた。大変な作業量である。高橋ガバナー補佐のご好意に感謝する。IMのテーマが大体4系統あるので挨拶の原稿も異なっていく。恩師と先祖の墓参に赴く、今年度のことを考えるべきだが、つい次年度の公式訪問、組織、会計の改善にをどうしようかと考えてしまう。
2年連続ということのメリット、デメリットとある。メリットの点をこの際進める決意をする。会計の改善・公開、組織のスリム化、ガバナー補佐と連携する公式訪問の改善策、より充実したDLPの実施などである。難問は多い。この時を外しては出来ないことをしなければならない。ノミニーの崎山さんも協力してくれる。
1月27日(土)
晴れ
前日の夜、次年度地区幹事団決まる。石井さん(千葉北)、海寳さん(千葉)、岡崎さん(千葉中央)、
田中さん(千葉)、森島さん(新千葉)、千葉さん(市原中央)、津留さん(市原)の7名である。国際協議会出発前に決まりにホットする。これは大きな賭けでもあった。しかし、各クラブ、意のあるところを汲んでくれた。勇気が湧いてきた。やはり地区の改善を望んでいるからだろう。ロータリアンの温かい友情に包まれながら空港に向かう。海寳さん、藤崎さんが成田まで来てくれる。このような時、二人の見送りに感謝する。各地のガバナーエレクトが集まっている部屋にそっと入るが、忽ちにして現ガバナーでもあるが、エレクトでもあると紹介される。恥ずかしい事この上ない。既に秋田の松浦さんご夫妻も来ており、私たちの来るのを待っていた。二人して二回目の国際協議会参加である。しかも連続だ。連続登板は前代未聞であると言う。茨城の同期の佐藤さんの奥さんから、「白鳥さんも見送りきたの?」と聞かれて返事に窮した。
JL62便に搭乗し妻と二人だけの世界に入り、ただただ休むだけである。予習などできない。
11日からのことから昨夜の幹事団が決まるまで、まったく息を付く間もなかった。投げ出したくなる時もあるが、この機会にやらねば成らない事をやるのが天命であるとも思う。やろろう。
機内映画を見たりしているがストリーを追いかけていない。予定通りロス空港に着く、バスに乗るが、振り回されて車酔いに苦しむ。
マリアデルレイのレストランでは昼食を取らず、外に出てひたすら深呼吸をする。大きなヨットハーバーだ。サンタモニカの海岸で休息する。寒い。雨とどんより曇ったサンタモニカは魅力ない。これからの国際協議会を乗り切れるのかが心配になってきた。周囲に気配りしながら妻も懸命に介抱してくれる。ありがたい。やっとのことで宿泊のホテルに入る。夕食もとらないが、それぞれの紹介があるのでレストランに入る。周りからは大変ですねと言われるが、あまり良い響きはしない。睡眠薬を飲んで休む。明日は元気になるだろう。
1月28日(日)
曇り時どき雨
体調戻る。9時にホテルから二台のバスに分乗して一路サンディゴに向かう。途中大きなアウトレットモールにて休憩。12時半に会場ホテルに入る。ビチャイラタクルさんが先頭で出迎えてくれた。重田理事からは労わられた。原子力空母ミッドウエイが昨年と同じ場所に係留されている。カリフォルニヤにしては珍しくどんよりした曇天が続く、時折雨だ。日本の研修リーダーから説明を受け部屋に入る。昼食をとるが昨年より数段美味く、種類も多い。会長主催歓迎レセプションとビッフエ方式の夕食をとる。RI会長とエレクト夫妻の周囲は人だかりで一杯、写真撮影と名刺交換だ。ビッフエでも隣の人と、名刺と小さな土産を交換しあう。会話はほんの一言三言だが、アメリカの女性は底抜けに明るい。大きな声で話すのに閉口する。
早々に引き上げ休む。明日からは研修が本格的に始まる。
1月29日(月)
曇り夕方小雨
このところカリフォルニヤらしい晴天に恵まれない。肌寒い日が続いている。
いよいよ国際協議会の幕開けだ。ガバナーエレクト、RI役員、スタッフ、各国研修リーダー等総勢約1750人が2階の大広間に参集。「入りて学ぶ」の始まり、ボイドRI会長の開会宣言と歓迎の言葉、ロータリー加盟国の国旗入場、気分が昂揚してくる。ウィルキンソンRI会長エレクトのテーマ演説に入る。ボイドさんと背格好が似ている。カナダで会計士を職業としている。緑色のジャケットに黄金色のネクタイをして登壇し、ロータリーには魔力がある。私のような普通の人でも、かって経験していないことを数々体験させてくれる。それも素晴らしいことである。ここで皆さんと会い話せるのもそうであると述べ、ロータリーの体験談を語り、“ROTARY SHARES”「ロータリーは分かちあいの心」を次年度RIテーマと発表した。理解しやすく、納得できるテーマである。スタンディングオーベイションと歓声で、テンションが上がりぱなし。
グループ討論では2007-08年度のRIテーマについてである。17名のGEの積極的な発言が続く。この方法は他の人の考えを自分と比較して聞けるので勉強になる。
昼食後、緑色のブレイザーとネクタイの購入に出店のブースに行く。
午後の本会議では2007-08年度会長エレクトの強調事項のスピーチである。その後二回のグループ討論では強調事項について意見を交し合う。全員の名簿に名前がない、差込があった。全体会議では最後列の一番端である。家内と待ち合わせ夕食をとる。部屋に入り、テーマのシールを絵葉書に貼る。そのまま休む。家内は国際祭りのリハーサルに行く。
1月30日(火)

本会議開始前に親睦の合唱、メロディは殆ど聞き慣れたものだ。歌詞をロータリーに因んだものにしてあるので口ずさむことができる。
第3回本会議は会員増強と公共イメージについてである。RI会長エレクトがモデレーターとなり、会員増強についてのパネル討論、パネリストは3人の若いロータリアンがリラックスできる椅子に座り5分程度意見を開陳し、モデレーターが、今一度パネリストに返し2-3分のコメントを述べさせている。実に手際よい。話の内容もパネリストの経験談であるので参考になる。交換学生の経験を経てロータリアンになり、いまは恩返しの気持ちで青少年交換の仕事に励んでいる。古参のロータリアンから声を掛けてくれるの一番嬉しい等である。配偶者も第2回の本会議を開き識字率向上の会議を開いていた。
午後の本会議は親睦合唱のほか体操を取り入れた。これは硬くなっている身体にはとても良かった。会議はロータリー財団だ。敬愛するビチャイ・ラタクル元RI会長が次年度のロータリー財団管理委員長であり、次年度の目標について話す。目標はそれぞれのロータリアンが自分自身で立てる目標額であり、その総計が財団の目標であると述べた。各ロータリアンの自覚を促し、信頼を寄せていることに驚く、同時に気持ちが昂揚してくる。何時ものことだが、ラタクルさんの言葉には千金の重みがある。幾つかのグループ討論を経て、夜は国際親善晩餐舞踏会である。民族衣装に身を包み、RI会長、エレクト、役員の前を通り自席に付く、フラッシュが盛んに焚かれる。そのあと晩餐会の指定された席にはインドのロータリアン夫妻である。お二人とも産婦人科の先生で、今回はRIの研修リーダーとして来ている。会話を楽しむどころか懸命に話すしかない、白ワインをご馳走になる。明日の体調を考えて、舞踏会は遠慮して部屋に戻る。疲れのためか寝つきが悪い。
1月31日(水)
曇り時々小雨
カリフォルニアの強い日差しの青空はどこに行ったのか。相変らずどんよりした天気が続いている。ホテルの外に出ることが出来ないので気にはならない。
午前中の全体会議の親睦の合唱では「手に手つないで」が歌われた。我々34人のガバナーエレクトがステージに上がり手を前後に振りながら歌う。会議のテーマはロータリー財団である。現委員長のジアイさんが「ロータリー財団の今日と明日」と題してスピーチ。@2005-06年度の寄付と投資収益は米貨1億6,210万ドルとなった。A恒久基金は予想より早く5億ドルの水準を上まった。10億ドルの目標も誰もが予想しなかったほど近い将来になるだろう。Bポリオプラスへの投資を除き、合計3,000万ドル以上12,640件の人道的補助金が承認された。(新記録)Cマッチング・グラントの承認数は19%増となり、各マッチング・グラントの平均額は28%に増えた。Dマッチング・グラントが創設されて以来25,000以上のプロジェクトがこの資金が当てられた。GSEについては515のグループが参加した。
ロータリー財団の人道的、教育的奉仕が多くの人に認められてきた。@パキスタン政府より勇気と犠牲への星賞、A世界各地の血液バンクへの支援と推進活動に対して、米国血液バンク協会からロータリーに功労賞が送られた。B飢餓追放の懸命な活動に対してロータリーは国連世界食糧計画から表彰された。と報告された。將来に向けてのビジョンを熱く語りかけた。
ロータリーのプログラムで顕著な効果を上げた例が報告された。その中にアメリカのクラブがルーマニアのクラブと手を組んだ補助金プロジェクトだった。「子供たちにミルクを」と言うことで、牛乳からの乳製品を作り出す技術と販路の援助であった。地域の農家はそれにより潤いを与えられた。
RI会長エレクト夫妻との写真撮影、ロータリー財団に関するグループ討論が行われる。今日はロータリー財団一色だった。時差ボケからようやく開放されたようだ。