[Return] 2007年12月 ガバナー日記
12月5日(水)  第1回ガバナー補佐エレクト会議
 晴れ
 海燕亭にて第一回ガバナー補佐エレクト会議が行われ出席する。崎山エレクトと山中研修リーダーによる会合だ。精神的には昨年の今頃とは雲泥の差がある。ガバナー補佐エレクトの中には4人ぐらい顔見知りがいる。皆さん力のある方が多い。自己紹介後、崎山エレクトから次年度の大きな行事予定と地区大会の日程、場所の報告、合同公式訪問の基本的な説明がされた。山中次期研修リーダー、杉木研修リーダー、増田委員が補佐エレクトの心構えと任務の説明があった。
12月8日(土)  第8回ガバナー補佐会議
晴れ 冷え込み強くなる。
 ポートプラザにて開催、前年度中に4回開催しているので第8回になる。香取さんが結婚式のため欠席、秋葉さんの代わりに麻生さんが出席。
IMの日程、テーマを確定する。地区大会のお礼を述べ、感想を聴く、大懇親会の有無については賛否両論だ。何故無しにしたのかを説明する。今後の課題でもある。ロスアンジェルスで開催される国際大会に参加を要請する。世界に展開しているロータリアンが一堂に集まる祭典に参加して、世界のロータリーを肌で感じ取って欲しい。チャリティゴルフは各分区で開催する。有難いことに第4分区からチャリティゴルフの10万円の寄贈があった。その後、それぞれの分区の現況報告を受けた後、今年の労をねぎらいに乾杯し、懇親会に入る。皆さんIMに相当な力を入れている様子が伺えるので頼もしい限りだ。成功を祈る。
次回は3月8日16時から行なうことになる。
 今週は、6日(木)に木更津RC、7日(金)に千葉南RCへ連絡とお礼を兼ねて訪問した。
12月12日(水)〜13日(木)  第13分区会長幹事会  流山RC
雨のち晴れ
 12日、石井幹事長のホームクラブである千葉北RCの例会に出席して、石井地区幹事長はじめ千葉北RCの全面的なご協力にお礼を述べる。出前教室の予告内容が面白かった。1月30日に開催するそうだ。
 そのまま流山に直行する。流山RCの小倉会長の入院先に吉田ガバナー補佐とお見舞いに上がる。小倉会長は先月脳梗塞で倒れ入院し、今はリハビリの真最中であった。快方に向かっているようなのでひとまず安心だ。会話することが出来てよかった。早い回復を祈る。
 その晩、第13分区会長幹事会に出席懇談する。ロータリアン同士の誼から話題が尽きない。話はCLP、地区大会、クラブのこと、会長の職務遂行不能の場合の対処などに及ぶ。皆素晴らしいロータリアンであり、しばしロータリー談義に耽る。
柏に宿泊し、翌日、吉田AGと共に流山RCの理事役員会に出席し懇談する。小倉会長に代わり熊坂直前会長が会長に就任することになる。
流山RCの例会に出席した。貴重な時間を割いていただいたので20名になったクラブの激励と質問をとり入れた話になる。この非常事態の時こそ全員でクラブのあり方を見直し、マンネリから脱却して運営に携わり、お互いクラブ会員としての参加意識を高める絶好の機会である。そのためにはお互いの対話を欠かすことはできない。小異を捨てて対話をするロータリークラブに変化することだ。 真剣な眼差しで聞く会員の様子から判断して、きっとやってくれると思う。100%ポールハリス・フェローのクラブである流山RCの再生を心から祈る。
12月15日(土)  地区資金委員会  地区諮問委員会
晴れ
 連日、連夜会合があり、へばり気味。地区資金委員会を10時に開催、崎山GEから提出された次年度の予算案の骨子について諮問する。今回、見解の相違による委員からの求めに応じて予算案を再度吟味して提出することになる。昨年の自分を見る思いだ。地区資金委員会の存在意義、委員会委員の構成についても根本からの見直しが必要だ。今年度改善した会計システムをより完成度の高いものにして欲しい。
 諮問委員会では、地区大会報告、地区資金委員会の経緯、IMの日程、5/12開催の日台親善交流会議、ガバナー候補指名、ロータリー研究会の感想などの報告を行なう。その後、ご夫人を交えての崎山GEの壮行会に入る。来春1月12日出発、1月22日帰国予定。
12月16日(日)  ロータリー財団学友会総会
晴れ 寒い 今年の積雪は平年並みらしい
学友会に先立ちR財団委員会に出席。委員会の進行および審議内容は実に整然として実に見事である。学友総会では名簿の作成に関する事項に費やされてしまい、活動についての審議が無かった。学友会のメンバーは各地(外国も含む)に散らばり、活躍しているだけに名簿だけはしっかりして欲しい。メンバーが自主的に幹事役に連絡すべきである。地区外では、学友会が中心になり神奈川湘南RCを立ち上げている。大阪でも学友会中心のRCができつつある。
総会後に懇親会が行われた挨拶で、辛口のことを述べてしまい、自己嫌悪に陥る。連日の会合からの疲労といえば言い訳になるが、大人気ないことを言ってしまった。覆水盆に返らず。
12月18日  地区芸術祭出展者懇親会
晴れ  冷え込み強い
 地区芸術祭出展者と関係者40名が東天紅に参集し、懇親会を16時から行う。出展者同士語り合い、ロータリーらしい親睦の交換会ができた。それぞれが登壇して語る中に同好の誼であろう話が弾み、名刺の交換も盛んに行なわれる。皆楽しそうにしていた。彫刻家である久保田さん(市川シビックRC)が出展した作品をチャリティ・オークションにかけ奉仕活動の一助にしたいという建設的な提案があり、拍手を浴びていた。
 昨日、成田RCに在籍し、活躍されていた成田數正様の訃報を受け取る。成田さんには地区の職業奉仕委員会に所属していたころからご指導をいただいた方である。88歳でご逝去された。成田さんからの様々な書簡、資料は3つのフアイルに閉じるほど沢山戴きためになる。その他2冊の自著も送付してくれた素晴らしい先輩であった。
 成田さんの読書量は凄いもので古典や歴史書の読後感の文章を次々と贈ってくれた。満州時代の話の中では悲憤慷慨する成田さんにいつまでも少年のような面影を宿しているのを見た。晩年は漢詩を丁寧な字で書き写していた。成田さんに感謝と敬意を表し謹んでご冥福をお祈りいたします。
 
 成田さんの奥様がご主人の葬儀の二日後、後を追うようにお亡くなりなった。お二人は波乱万丈な人生を過された中に強く結ばれていたその証を見る思いであった。
12月23日(日)  四街道交響楽団第42回定期演奏会
 雨のち曇り
 肌寒い一日だった。四街道市文化センターへ家内と四街道交響楽団第42回定期演奏会に行く。夏、冬二回の定期演奏会だから20年以上の歴史がある。四街道RCの成島さんが交響楽団の団長で団員は四街道市民である。寒いなかを賛助会員の四街道RCのメンバー10数人がホール入り口にて来場者を笑顔で迎えていた。また、愛国大学四街道付属高校IACの部員がホールの内側、外側に分かれて老人福祉の募金をしていた。
 文化ホールは満員で盛況であった。交響楽団は月二回の練習というが、その演奏振りは見事であり、聴き応えがあった。第3ステージの チャイコスキー 交響曲第5番 ホ短調 は十分に堪能した。第二ステージでは四街道中央小学校金管バンドとの素晴らしい共演に、四街道交響楽団が市民にすっかり溶け込んでいる様子を見た。成島さんは第1、第3ステージの指揮を執り、しかも第2ステージではサクソホンだかクラリネットかを吹いていた。全ステージ出演して地力を発揮していた。そのスタミナにも驚く。素晴らしい演奏会に満足感に浸りつつ帰る。
12月27日(木)  地区幹事会
 晴れ
 昨夜は地区職業奉仕委員会に出席、研修セミナーの小冊子の校正に参加、遅い。何故だろう。委員長が次期委員長に留任するようだ。毎年1年交代のはずなのに何故だろうか。不可解なことが多い。多くの人が委員会を経験することが肝心である。そのために3年のローテーションが、米山、ロータリ財団委員会を除いた委員会では定着していた筈なのにどうしてこうなるのか。CLPの推進についても雲行きが怪しくなってきた。現、エレクト、ノミニーと継続性を持つべきことは、話合いをしなければならないのにそれがない。10月にはCLPの推進であったのに急変した。何故だろう。今までの努力が水泡に帰すのかと思うと信焦慮にかられる。
 
 今夜は今年最後になる地区幹事団の会合だ。チャリティディナーショウ、WCS、国際大会参加について相談と打合わせする。活発な意見が飛び交う。異常な出発をしたガバナー年度であったが、肝心なところであった半年を見事にこなし終えてくれた。幹事団を結成してまだ1年経っていないのに素晴らしいであるチームである。石井幹事長がそれぞれの個性を十分に発揮させて見事にまとめてくれた。残りの任期をロータリーらしく考え、知恵を出して任務を幹事団と共に全うしたい。
12月31日(月)  2007年の終わり
 晴れ 風強く日本海側は大雪
 一年を振り返ると、今年はあっという間に駆け足で過ぎ去った1年であった。それも猛スピードである。 
 1月11日、全ては地区指名委員会の席上で発した「それでは責任をとります。」という一言から始まった。ガバナーを継続せざるを得ない原因と理由は何か、継続する意義は何かを問う毎日であった。また、家内の承諾を得られずに緊迫感と焦慮に駆られた日々であった。ガバナーの任務もあるし、国際協議会への準備と渡航手続きがあり、心身ともに忙殺されていた。4日後家内の了解に力を得る。これは百人力であった。
 地区幹事団の編成では前年踏襲を避けるために新規幹事団の編成を考えた。1月17日に第3分区A、B(13クラブ)の会長会を緊急に開いていただいた。事情を説明し、各クラブから幹事団候補として1名の選出を依頼する。各クラブは理事会経由で1名を選出して1月26日に返事することを約してくれた。27日の国際協議会出発前夜、中村AG(当時)から7名の幹事団候補を挙げてくれた。これほど嬉しいことはなかった。
 今、思うと、エレクトとしては、無謀なやり方であったと思う。しかし、その時はこれしか考えられないだけに真剣そのものであった。帰国後2月7日に初めて顔合わせをする。以後については当時の日記に記してある。月信担当者を5名追加し、総勢12名の陣容であり、地区大会委員長に千葉クラブの早川会長(当時会長)が就任して陣容の要になっていただいた。
 超短期間で地区役員の編成と抜本的な改善をした予算の作成を済ませ、超短期間で地区チィーム研修セミナー、PETS、地区協の準備し、つつがなく終了した。幹事団は私を除いて経験者皆無なのに、実に良くやっていただいた。
 
 ガバナーの任務とエレクトの兼任はきつかった。ソルトレークの国際大会に参加し、そのまま新年度に突入、公式訪問に入る。今年度はクラブ毎でなく2クラブ合同公式訪問を原則とした。3クラブ合同の場合もあったが、合同の長所も大いにあった。ただ3クラブ合同は大変に疲れる。やはり2クラブないしは1クラブであろう。この時のガバナー補佐の方々の親身なお世話に感謝したい。また各クラブの温かい歓迎と熱心な会長幹事との懇談、例会、クラブ協議会は記憶に残っている。不思議なことに前年度は1クラブの公式訪問であったが、今年も1クラブずつ訪問したような錯覚を覚える。前年度訪問した折の公式訪問が鮮明に思い出され、前年度との比較ができたことである。普段、加齢から記憶力がかなり落ちているのを自覚していただけに不思議な思いがした。
 全てのロータリアン、全てのクラブに心から感謝したい。有難うございました。
 
 地区大会では低い登録料を打ち出した。講演者、アトラクションは全て千産千消(地産地消)である。反省点は多くあるが、地区幹事団と地区大会実行委員の絶妙なティームワークにより地区大会を終わることができた。公式訪問を3日前まで行ったハードな日程のため、体調を崩したまま地区大会に入ってしまった。忸怩たる思いだ。しかし、素晴らしい話をされて感動を与えてくれたRI会長代理藤川様に救われた。フォーラム、タック川本さんの記念講演、芸術祭、女性のための講座、アトラクション、新世代の交換会等々みな素晴らしかった。関係者一同に深く感謝する。
 昨年と大きく違うのは地区大会の終わりにガバナーエレクトとノミニーを紹介できたことであった。また次々々年度のガバナー候補者も決まっている。これは地区にとって今まで無いことであった。
 後はRIの推奨するロータリーの継続しなければならない点を如何に具現化していくかである。不易、流行を考えるとロータリーの変わってはならない基本的なことは変えるべきでないが、時の変遷と共に事情が変化するに連れ、変えるべきは変えていかなければならない。
 
 地区大会後、RAC認証状伝達式、周年記念行事、ロータリー研究会、8つのクラブ訪問、地区委員会、諮問委員会などに出席しつつ身体の回復を図った。心身ともに実にハードであったが、精神的な重圧が少くなったせいか、12月中頃には普通の状態に戻った。
 各ロータリークラブ、各ロータリアン、各ガバナー補佐、地区役員、パストガバナー、地区幹事団と地区大会実行委員会のメンバー、月信担当の方々にはこの一年お世話になった。ありがとうございました。 
 藤川さん、関場さん、深川さん・・・・・・と多くの関係者の皆様  ありがとうございました。
 
 二年続けてロータリーに始まり、ロータリーに終わったが、世の中は小泉首相から安倍首相に代わり、さらに福田首相へと代わっていた。国内の事情を表す一文字が「偽」であるように倫理観が薄れ、官僚はやりたい放題である。権威を失って既得権にしがみつく姿勢に哀れみさえ覚える。中国との関係回復の兆しが見えてきたが、彼の国の中華思想は要注意だ。資源の確保、環境破壊、領土の拡張の姿勢に表れているように自国のためには他国の民意や世界の安寧など考慮しないやり方に不安を感じる。
 
 来年、心の向上をはかり、お役に立つこと願いつつ1年を振り返ってみた。