[Return] 2007年6月 ガバナー日記
6月1日(金)
晴れ
午前中会議の始まる前を利用して、昭和22年2月27日、大陸から渡って来た台湾専売取締官が、高圧的に密輸タバコ巻き上げるといったささいなことに端を発して、翌28日には台湾の民衆は大陸から逃げ延びて来た蒋介石軍に抗議して大々的なデモを行った。そのデモ団は軍隊から発砲され、多数の死者を出した。3月1日には騒動は台湾全土に波及し、軍は台湾人に対し手当り次第、機関銃や銃を持って民衆を虐殺した。中でも指導的立場にいた日本帰りのインテリが狙われ、被害者は2万人前後といわれている。いわゆる228事件である。その記念館を訪れた。このことを知らずにいた。身近な国の現代史とも言えることに全く知らないでいたのである。外省人の台湾人に対する横暴である。その後長い間台湾は戒厳令が布かれて、この虐殺は世に知られることが殆どなかった。
東大出身の台湾公益広告協会理事長である頼東明さんに小籠包の美味しいレストランを案内された。
頼さんはロータリー100年のとき台湾ロータリアンと交流した時の人であり、聡明な人である。
日台ロータリー親善準備会の前に日本のロータリアンのコンセンサンスを得る会合があり、日台親善準備会の本会議に入る。会議は次第に白熱を帯びてきたが、申し合わせ事項はきちんとしたものになっていく。この申し合わせの根底は両国クラブ同士が姉妹関係を締結する際の模範となるようにするという双方の思惑がある。真の友好・親善を目指すことになる。第1回は2580地区(東京・沖縄)が企画し、東京で来年開催することになった。
夜は双方のロータリアン約160名が懇親会を行い、親睦を深めあう。ロータリーには魔力がある。来てよかった。
2日の早朝に台湾を立つ。
6月3日(日)
晴れ
全国会員増強セミナーがグランドプリンスホテル新高輪にて開催出席。うっかり忘れていた。午後からのロータリー財団委員会に出席すればよいと思っていた。小池さんからの電話で急遽電車に乗り、東京駅からタクシーで会場に行く。1分遅れで会場に入る。全体会議の後、A、B、C、Dの4組に分かれて4セッションの分科会を行う。新方法である。全員が参加意識が持てるし、意見の発表が出来る。国際協議会のセッションと同じで、話合いそのものだ。地区でもこの様な会議の進め方を導入すべきと思う。
第1分科会「会員増強に向けて、自分自身を今一度見つめなおそう」−ロータリアンとはどのような人達なのか?−、第2分科会「DLP・CLPを会員増強にいかに生かすか」−クラブがロータリ−の核心―、第3分科会「会員の質的充実と退会防止は新入会員の教育から」−クラブで、地区でなすべきことは−、第4分科会「真の会員増強を目指して」−クラブ例会のあり方は?−のテーマを設けての討論である。いろいろ他地区の、クラブのやり方を知る。それに自然と理の適った所へ収斂していく様は、真剣に討論し、話合うからだろう。コーディネーターの力に負うところ大である。
6月5日(火)
晴れ
前日は崎山ノミ二−、宮本次々期地区幹事長の来訪を受けて石井次期地区幹事長と4人で次年度の日程について話合う。崎山ノミニーもガバナーとしての準備に入る気になってきたと思う。
今日は地区の飯島次年度職業奉仕委員長と秋葉委員の来訪を受ける。職業奉仕委員会の年間予定の設定と9月6日のセミナーについて打合わせをする。深川先生のセミナーを成功に導きたい。この方法を一緒に考える。ロータリー談義もする。お互いの考えを披露しあう。ロータリーが自分の人生に与えている力を感じている。
6月6日(水)
晴れ
例会時間の60%出席で小池さんと地区指名委員会に赴く。氏名委員会ではノミニーの決定を下せないでいる。有力者はいるので今後の折衝しだいだ。エレクトの予算を組んだり、ガバナーの位置づけを再確認したり、擁立のブロック化など、ノミニーおよび候補者の受け易い環境を整えている。
諮問委員会では、規定審議会の報告があった。制定案として@人頭分担金の値上げがある。次年度は変わらないが、半期ごとに50kアップして2010-11年度には25ドルになる。あとはA60%の半期例会出席率の義務が50%になった。主だったところだ。あとはRI理事会で決議事項が審議決議される。能登半島地震義捐金、拉致被害者家族支援金、チャリティディナーの報告、日台交換親善合同会議準備会の報告などで終了し、今年度の諮問委員会を終了した。例年より委員会の回数は多い、7回の諮問委員会であった。
6月7日(木)
曇りのち雨
全国米山評議会が虎ノ門パステルホテルにて開催、出席、古畑委員長と一緒になる。同期のガバナー多数出席、エレクトも散見できる。今年度の事業報告と現況説明、次年度の予算、事業計画案が可決される。当地区では米山奨学会への寄付額が増え、20名の枠が23名になる。地区ロータリアンに感謝する。
夕刻インターアクト委員会の打ち上げに出席し、皆様の労をねぎらう。今年は顧問教師の関係を良好にして頂いた功績は大きい。やはり委員会のあるべき対顧問教師の姿勢、対インターアクターとの姿勢を正す事から始め、対話を重視したことが生き生きとした委員会となり、インターアクトクラブになったと思う。大きかった。この世にお役に立ったインターアクト委員会であった。感謝する。次年度の更なる発展を期待したい。改善点を話合っている委員会のメンバーにロータリーのマジックを見る思いだ。
6月8日(金)
晴れ 関東北部では落雷、集中豪雨
河合社会奉仕・新世代育成委員長、渡辺社会奉仕委員長来訪。8/5に委員会セミナーの打合わせ準備。関場先生の講演を主としたセミナーのロータリアンの動員に智恵を絞る。あらゆる手段を講じて全力を尽くすつもりだ。関場先生の話からロータリーにおける社会奉仕のあり方、これからのロータリーとその運動について、具体的な話が聴ける。先生の体験談からでる話は感動敵である。当地区にとっては大変有効な講演であると信じる。
このところ人と会い話すことが実に多い。この間に公式訪問、ノミニー、ガバナー補佐と委員会との関係のことが頭をよぎる。やろうとするといろいろな事が沢山ある。問題は山積している。一歩一歩確実に歩むしかない。それには各委員会に問題を提起し、相談することだ。
6月10日(日)
曇り雨のち曇り
日本列島の北側に寒気団が居座り、列島の天候を不安定にしている。豪雨を伴う落雷が各所で発生している。栃木で中学生が落雷に遭う。
浦安RCのチャリティ・ウオークの開催が心配だ。ニューオータニでは青少年交換プログラム「来日学生・派遣学生歓送迎会・ロータリークラブ懇親会」が12:00から開催。数々のオリエンテーションにより保護者、派遣学生ともに進歩している。出発前の派遣学生に対する指導は大切だ。地区委員およびスポンサークラブ、ホストクラブの会長および担当者の献身的な奉仕に敬意を表する。
委員会の委員の奥様も参列していた。良いアイデアだと思う。このアイデアを他の委員会にも伝えたい。家族の理解を得る有効な手段である。
6月14日(木)
曇りのち雨 梅雨入り
船橋東RC創立30周年、船橋東RAC創立15周年記念式典に出席。周年式典に出席すると、公式訪問では見過していたクラブの歴史、実情、特徴、が良く分かる。船橋東RCは実に多方面にわたる奉仕活動を行っている。中でもカンボジャに船橋東という冠名をつけた小学校を25周年記念とした事業を行っている。2年前から設計および建設に至るまでクラブ会員が行い、25周年に完成したという。その後、現地を訪れては遊具や学用品などを提供している(識字率の向上)。市内の養護老人ホーム、身障者ホームへの支援(地域社会への奉仕活動)、海老川の清掃作業と小魚の放流(水保全)、「国際交流の夕べ」・芋ほり例会(ロータリー家族)、カンボジアの小児病院へ抗生物質粉ミルクの贈呈(保健および飢餓)、等々である。今年度「超我の奉仕」賞を授与された金子研一会員がいる。金子さんは東南アジアの各地を回り医療活動をしている。さらに船橋東RACを15年間提唱している。実に豊富な奉仕活動を展開して新世代の育成にも力を注いでいる。
このエネルギーはいったいどこから沸いてくるのだろうか。日々真摯にロータリーに対面しているからだ。くじけそうになると元気な会員が声を大にしてクラブを引っ張るとのこと。驚きの一言である。
6月16日(土)
晴れ(成田)  晴れ(ソルトレイク)
ソルトレイク国際大会へ出発する直前1週間、次年度の打合せのため連日関係者と会う。昨年よりは数段打合わせが多い。準備もそこそこに成田へ向かう。各地から参集するガバナーと合流し、サンフランシスコ経由にてソルトレイク空港に到着。約15時間の道程。空港に降りると、いきなり37度の熱風と強烈な日差しに襲われる。乾燥しているとはいえ、これから先のことが思いやられる。夏季に一週間ぐらいの熱波がやってくるそうだ。今年は早く来たという。三方を山に囲まれた空気のきれいな静かな街だ。市内は碁盤の目に整備されている。禁欲的(酒、タバコはご法度)なモルモン教の総本山であるだけに、ゴミは見当たらないし清潔で治安は良い。海水の6倍の濃度(死海に次ぐ濃度)を持つ大きな塩水湖(グレート・ソルト・レイク)がある。ガバナー全員が集い、日本食を囲んだ夕食会を催す。後2週間にしてガバナーの任務が解かれるため卒業旅行のような賑やかさだ。
2610地区荒井ガバナーから能登半島地震災害義捐金の総額が5,800万円を超えたという報告があった。
6月17日(日)
晴れ
昨日の熱波は去り爽やかである。日本人朝食会に出席。八千代RC川越さん他3人、木更津東RC山田会長と2人、船橋南RCの浜名さん、安川さん(国際大会連続参加9回目)、森島PGご夫妻とお会いする。また、日台合同準備会でお会いした台湾の頼さんにも再見した。
本来ならこの大会はニューオーリンズで開催されることになっていたが、カトリーナ・ハリケーンによる被害が甚大なため、ニューオーリンズからソルトレークに変更した。被害を受けたニューオーリンズの6840地区に対して第2750地区(東京)から、クラシック・ラリーから得た収益金50万ドルの義捐金の授与式が朝食会の席上行われた。
1847年にモルモン教の人達が、東部から追われ、人力で車を押して苦難の末この地にやって来て、入植し開発された町である。南北に走るロッキー山脈の西側に位置する高原である。ユタ州は世界一の銅の産地であり、金銀の鉱山で栄えたこともある。中心地に高層ビルは点在しているが、他は低い。世界で初めて心臓移植をしたユタ大学は山の中腹の木立に囲まれた環境の素晴らしいところにある。元守備隊の砦でもあったという。
昼食後、大会会場に入る。投票代議員カードを提出して丸いバッジを受取る。
いよいよ大会第1日の本会議である。14:30開会予定のところ14:00には入る。席の良いところに着席したのは良いが、エレクトのグリーンのジャケットを着用していたのでS.A.Aに誰何される。ネームカードの下にガバナーのリボンも付けていたのでOKとなるが、S.A.A.は驚いていた。
開会式はニュージーランドのマオリ族の雄叫びから始まる。途中、中腰になり太腿を叩きながら「ガンバッテ」「ガンバッテ」と言うところがある。「頑張って」「頑張って」と聞こえる。人種・宗教・国が異なる世界中の子供達が歌う合唱の美しいハハーモニー心打たれる。オペラあり、カントリーミュージュックありポップスありでアメリカの音楽を堪能させてくれた。ボイドRI会長が役員を紹介して一日目は終わりである。一度に参加者をホールに収容できないので二回目の開会式が引き続き行はれた。参加者はアメリカが7千人ぐらい、アフリカのナイジェリアが二番目に多く、日本からは400名ぐらいで三番目の参加者であり、全体で1万6千人である。1万8千人を見込んでいたので、ケチケチムードで対応していくと言う。
今夜は中華料理である。日本人Rtnが大勢来ていた。他地区のRtnと共に卓を囲む。思いがけない人との出会いがあり、当地区青少年交換委員会へ提案の伝言を頼まれた。
6月18日(月)
晴れ
午前中全体会議、風邪のためクーラーの風が気になる。ボイドRI会長は、ロータリーはごく普通の人に非凡な機会を与えて多くの恩恵をその人にもたらす。だからロータリーの行事には積極的に参加することだ。そして与えられたロータリーの恩恵に対してお返しをすることである。ポリオのワクチン投与の時子供の目の輝きをみて感動したことが、その後の自分の人生を豊かにしている。マザーテレサの「私たちは海の一滴でしかない、しかしその一滴がなければ海はないのです」の言葉を引用して、未来を託す子供達のために少しでも尽くすことが大事である。新しい気持ちでロータリーを見つめようではないかと呼びかけ、ロータリーは自分の生活にロータリーの価値観を生かすことであって、他を説教をすることではないと述べられた。全く同感だ。
午後のセッションで会員の勧誘に出席。3人のパネラー(板橋PGがパネラーの一人)が12分間ずつ会員増強と退会防止策の話の後、質疑応答で検討しあう。活発なデスカッションであった。手続き要覧に会員は増強することを明記してある。MGM(Member gets member)。120万の会員のうち年間45,000人の会員が亡くなるので若い人を増強することが肝要であること、ロータリーに入会して自分の人生をどのように変えたかが問われること、きちんとした例会を行い、例会を充実させること、クラブには世代間の多様性が大いに必要であること、互いの(two way)コミュニケーションが大事であること、新会員は6ヶ月以内に1名の新人を勧誘することを義務付けること、などが検討される。Ask, Ask, Ask.と聞くことが肝心であるとパネラーは言う。言われることはすべてに納得する。
Rtnであることを自覚し、常に自問しつつクラブライフをする。若い人に声をかける。誰からもロータリーを近づきやすくする。強いチームは観客が多いが弱いチームは観客が少ない。ロータリーにも同じことが言える。クラブを強化することは世間の人を惹きつける。以上が内容である。
国際セッションを初めて経験したが、クラブ活性化の問題点と解決策は何れの国のクラブにおいても同じであり、同じ悩みを抱えている。ロータリーに対して情熱を持って積極的に勧誘することである。参考になった。
6月19日(火)
晴れ 日中は30度になる
前夜のミュージカルとオペラの思い出の夕は楽しかった。今日のセッションは同時通訳が付かない。全員でパークシティのオリンピック会場と市内を観光に出かける。ちょっとした息抜きだ。軽井沢のようなリゾート地である。乾燥した空気のため雪質は抜群である。ここのパウダースノーは世界有数であると言う。スキー場は200ぐらいある。景観の良い所に別荘が点在している。
写真は大会S.A.A.を担当され、会場入口をエリアに任務についている関場慶博パスト・ガバナー(第2830地区、RI研修リーダー)ご夫妻です。私たちは思いのままに移動出来るが、S.A.A.の仕事は大変なもので一日中その場に張付いて、参加者の問合せに答えたり、ご案内をされています。とてもきつい仕事を柔和な笑顔持って処理しておりました。本当にご苦労様ででございました。
6月20日(水)
晴れ
午前本会議、昼食後友愛の広場に行く。ものすごい広さにブースがたくさんある。ロータリー記念切手のブースに船橋南RCの浜名さんが忙しく立ち回っていた。彼は世界のロータリー切手の趣味の会の会長を務めている。
テーマ別セッションのあと15:30から閉会式に参加。ボイドRI会長による国際大会の委員会及びホスト組織委員会への謝辞、会長の閉会の挨拶、次期RI会長ウイルキンソンさんの家族紹介と次期会長の講演。「ロータリーは分かちあいの心」を熱く述べる。余興としてユタ大学合唱隊による聴いて楽しく、見て楽しい演奏であった。その後、ソプラノ歌手のマルビナ・メイジャーによるオペラのアリアに圧倒される。最後に全員で「Let There Be Peace on Earth」(地球に平和を)合唱する。歌は歌えないが手と手を繋ぎあう。隣はドイツのRtnだった。
6月21日(木)・22日(金)
晴れ(ソルトレイク) 雨(成田)
早朝4時に起床。6時にホテルを出発しロス経由にて帰国。22日午後6時に帰宅。4回目の国際大会に参加したが、慣れるにつれ国際ロータリーの力強さと世界のRtnの素晴らしさを実感する。ロータリーの虜になってきたかも知れない。そこには他では得られないもの、Rtnであるからこそ経験できるもの、人生を豊かにしてくれるものが数多くあるからだろう。ロータリーからの贈り物(恩恵)であるかもしれない。大切にしたい。
これから各クラブの会長・幹事、各地区のガバナーはいよいよ年度の最終週を迎える。来し方の様々な事が脳裏に去来していると思う。私にとってはロータリーのおかげ、ロータリアンのおかげ、周囲の人のおかげ、家族のおかげで一つの任務を終えることが出来た。中でも家内のおかげは大きい。全ての人に感謝する。
6月30日(土)
曇りのち雨
2006−2007年度最後の日。市原ロータリー・クラブの会員をはじめとする地区幹事団、地区委員会の皆様のおかげで任務を終えた。しかし、感慨に耽っていられない。次年度が明日から始まるからだ。
今日は嬉しいことに一人の訪問者と一つの委員会が来てくれた。一人はロータリー財団奨学生でスペインに留学中の田村陽子さんが夏季休暇で一時帰国していたので訪れてくれた。彼女は聡明でスペインの第2200地区カステジョンRCホストでバレンシアの大学で世界平和と紛争解決の修士課程を学んでいる。33ヶ国以上の人達と毎日を過ごし、ロータリー・クラブの行事に積極的に参加し、国際親善使節として活躍している。スペインでの生活、将来の目的などの話が出来た。ロータリーの理想とする青少年交換学生であり、R財団奨学生である。地区大会でスピーチを披露をしたいが、この時はまだ留学中である。
IAC委員会が事務所で行われた。会計の引継ぎと次年度の事業の打合わせ、それに高梨先生(直前大原高校IACの顧問教師、現岬高校の顧問)もお出でになる。先生とはともに謦咳に接したことのある台湾の李登輝前総統の話から韓国・台湾の民族性の話にまでおよぶ。委員会終了後、一緒に夜9時まで懇談したが楽しかった。このような機会があるのはロータリーからの大きな贈り物である。
ソルトレークで行われた国際大会の登録について知らせがあった。大会登録者数は次の通りである。
1位 アメリカ   7,961名(登録料入金確認7,903名)
2位 ナイジェリア 1,740名(登録料入金確認 231名 米国ビザ、登録料送金の問題により激減)
3位 日本      938名(登録料入金確認 925名)
以下カナダ約700名、ニュージーランド約300名、韓国約250名で147カ国と地域より16,500名弱の登録数であった。昨年のマルコメ・コペンハーゲンの国際大会より2,500名多い。RI100周年記念シカゴ大会(2005年)、大阪大会(2004年)では4万人を超えたがこの11年間で7大会が1万名台の登録者数で推移している。来年(2008年)6月15〜18日に開催される国際大会はロサンゼルスである。開会式、閉会式の感動的なシーンを肌で味わい、ロータリーの力強さを感じとりたいと思う。また各セッションにも参加し、世界のロータリー趨勢を知り、雰囲気を味わうために、大勢で参加したい。ハリウッドをバックとするロスでの国際大会は十分楽しめると思う。2009年の国際大会開催地は韓国・ソウルから別な都市に変更されるようだ。
皆、帰った後、「1年終わったなー」とひとり思うが、感傷に浸れない。しかし終わった。
このガバナー日記はホームページ担当から簡単なガバナー公式訪問日記を書くように要請されて書き始めた。書くうちにこのような形になってしまい、良し悪しは別として、自己の記録として、また少々偏見もあるが情報の一つとしてお役に立てればと思う。