[Return] 2008年1月 ガバナー日記
2008年 元旦
晴れ  典型的な西高東低の気圧配置  北陸、中国、日本海側大雪
 
 心身ともに平穏で静かな年明けを迎えた。残り半年の任期にIM、創立周年記念式典や昨年の公式訪問で気になっているクラブを再訪問してみようと思う。
 崎山さん(エレクト)、中村さん(ノミニー)、織田さん(候補者)と地区に関係する対話をすることも肝心である。崎山さんの国際協議会の帰国後が良いだろう。
 ふとConversation(会話、対談、座談)とCommunication(情報の伝達、意思疎通)を考える。前者は感情移入がありえるが、後者はそれが殆どなく、理知的に判断した情報の伝達であると思う。3人の対話はConversation よりCommunication でなければならない。今流行りのIntelligence が注入されたものでなければならない。人の話に聴く耳を持ち、幅広い知識と洞察力ある人間性が要求される。
 WCSの現地確認視察旅行、チャリティディナーショウ、チャリティゴルフとその使途の選択、国際大会参加など挙げると、まだたくさんある。気張らずに多くの人の知恵と協力を得ながら実行していこうと思う。
1月7日(月) 千葉日報主催 賀詞交歓会
晴れのち曇り、夕刻雨
 千葉日報主催「新しい時代を開く千葉県民の集い・新春賀詞交歓会」に出席。国会議員、県会議員、市長、町長、各種団体の代表など総勢800人が京成ミラマーレホテルに会した。堂本知事の挨拶では「昨年、自分たちの郷土を再発見する機会を持った。 その発見が千葉県中で起こった」とし、「今年は世界を見、日本を見て千葉の中もしっかり見ていくダイナミズムを考えていく年」にすると述べた。
 ロータリーにおいても当てはまる言葉だ。世界のロータリーの動向を知り、地域での存在価値を再確認するなかにロータリアンとしての自分自身の思索と行動とを省みて、従来のロータリーライフにプラスアルファーを加えて変化していくことと思う。
 帰りに同席した二人の地区幹事と三人で喫茶店にて、クラブでロータリー談議を交わすようになるための方策を話し合った。誰かがクラブ内で仕掛けていかなければならない。志を同じくする人が集まる炉辺会合から始めることが良いと思う。重い話にならないようにしたいものだ。
1月12日(土)  崎山エレクト国際協議会へ出発
 雨
 崎山さんの見送りに家内と空港へ向かう。車中で昨年の1月11日に二度目のガバナー・エレクトの受諾から、あたふたと準備して国際協議会に行った思い出を語りながら行った。「歳月流るる如し」の一年であった。この間の私への健康管理には感謝、感謝である。幹事団の結成を始め、全てに一歩も退くことのできない絶体絶命の状況にあり、謂わば「背水の陣」を敷いて臨んでいたことが次々と思い出される。
 習志野中央RCの面々が設えた空港内の一室にて出発式を行い、パスト・ガバナー、ノミニーのご挨拶の後、崎山さんはしっかりと研修を受けてくる決意を表明し、勇躍サンディゴへと出発した。健康に留意して無事お帰りになることを祈る。新しく作られた第2790地区のバッジをいただく。
 数日後には新年度のテーマが発表されるが、「率先しよう」、「ロータリーは分かちあいの心」に続いてどんなテーマになるか興味津津である。
1月15日(火)  第3回千葉6クラブ合同例会
 曇り 冷え込む
 千葉6クラブ合同例会に招かれる。この合同例会は故人になられた大塚恵章さん(千葉西)が提唱され、亡くなられ年の年初に始めたのが第1回である。趣旨は千葉西RCから派生した5クラブ、千葉港、千葉幕張、千葉東、千葉北、千葉若潮RCが一堂に会し、大勢が集い親睦交流と有益な卓話を聴く例会を催し、お互い意気軒昂たるロータリアンを自覚しようということである。
 6クラブ会長が一斉に点鐘する音色は厳かな響きを持っている。新倉幕張RC会長の幹事クラブとしての挨拶に続いて、土屋亮平PGが「回顧」と題した卓話があった。エクアドルのガルパゴス島に旅した時、生物が環境によって変化して生き抜いている様子(進化)を見て、急がずゆっくりと環境に馴染みながら変化して行くことの大切さを語ってくれた(最適者生存)。ダーウィンの進化論を交えての教訓に満ちた話に共鳴した。効率化とか時間に囚われるあまり心を失っては何もならない。インディオの動きから心の大切さを学んだ話があり、現在を慌しく、物質万能に生きている私たちに警鐘とも言える話であった。また、人は一人では生きられない、助け合うことの詩を朗読してくれた。土屋PGのハイレベルの卓話に満ちたりた合同例会であった。
(この卓話は月信に掲載されることになった。)
1月17日(木)  WCS 第22次 フィリッピン支援視察 17日〜21日
 朝 雪 雨   マニラ 晴れ
 雪に驚く。車上の雪を払い、空港に向け6時20分に家を出発。9:30発のPR431便が除雪作業のため1時間半遅れにて離陸。総勢16人、1時間の時差で5時間のフライトにてマニラ空港に15:00到着。0℃から一気に30℃の気温と強烈な日差しに戸惑う。3810地区マラテRCの会員(女性)が2台のワンボックスカーを用意してくれて、そのまま白バイに先導され、ノンストップで日本大使館に直行。
 厳重なセキュリティを通り、会議室にて大島公使兼総領事、遠藤一等書記官兼領事、原田領事とお会いした。今回のミッションを伝え、フィリッピンとの支援活動についてのアドバイスをいただく。フィリッピンは何処に行ってもテンポの速い音楽をボリューム一杯にかけているが、大使館は静寂そのものである。フィリッピンのRtnによるとこの騒々しい音楽がないと生活のリズムが取れないそうだ。その後、この騒音に悩まされ続けるとは夢にも思わなかった。ホテルにチエックイン、マニラ湾の夕日を眺めることができたのは幸いであった。
 女性会員が殆どで男性は5人しかいない26人の会員であるマラテRCのアレンジで食事、空軍大佐であった端正なアタイデ地区ガバナーと会う。
1月18日(金)  ネグロス島ドゥマゲテ経由セブ市へ
 曇り
 6:30のフライトのため朝食を摂らず朝4:30ホテルを出発、ネグロス島のヌマゲテに7:50到着。案内のアナンさんの日本語は上手だ。ドゥマゲティセントラルRCのRtnに案内され、WCSによる小学校の遊具が子供達に有効に活用されている。子供の喜ぶ姿、輝かしい目、優しく指導する先生の姿を見てよかった。WCSの視察でネグロス島に入るのは始めてであった
東ネグロス希望病院と言う公立病院に入る。この病院の給水のために大きな貯水塔がジョイントの事業で完成してあった。大きなロータリーマークとRID2790と書かれている。ベッド数250だが入院患者数は400人、廊下、広間に所狭しと簡易ベッドに患者が臥していた。生まれたばかりの赤ちゃんが母親に抱かれて眠っているのが目立った。患者の90%は貧しい人である。どんな病でも100ペソまで料金を取るが後は無料である。アメリカのセントルイスRCとのプロジェクトで人工透析機器5台が設置されており、使用している患者の表情はリラックスしていた。
 ネグロス島はサトウキビが産業の島であり、5クラブ合同の事業として井戸が掘削されている場所に行った。山中の400人程度の集落の人は生活用水に雨水を使っていた。そこに井戸を堀り、発電機をまわすと水が管からほとばしる。雨水で凌いでいた住民は大喜びだ。村人や子供達、現地ロータリアンが林の中で私たちの歓迎式を行い喜びと感謝の気持ちを精一杯表していた。
 ネグロス島からセブ島に船で渡り4時間バスに揺られてセブ市に入る。7時半よりセブ市の8つのクラブの合同歓迎式典に出席し支援金贈答式を行なう。習志野中央RCから5人のメンバーと合流した。
 早朝4時に起床して22時にホテルへ戻るから寝不足だ。
1月19日(土)  ミンダナオ島 ダバオ市
曇り時々晴れ
 7時ホテル出発、前夜から市内では祭りが行なわれており、道路は混雑し、ホテルは満員。マクタン島にあるセブ空港に向かうが、途中大きな橋のふもとに海上生活者の集落がある。12年前から見ると集落の規模は小さくなっている。空港の建物は日本のODAによって1997年3月に完成されている。
 盲目のマッサージ師のために、空港内待合所にWCS資金を使用して椅子やベッドを購入し、足裏マッサージを開所していた。此処にもWCS資金は活用されている。待ち時間を利用してマッサージを試したが丁寧であり、疲れが癒えた感じだ。
 11時にダバオ空港に着く。“Discover Amazing Davao”の垂れ幕が目に付く。昼食後、ダバオ中央RCのプロジェクトである海辺に建つディアケアー・センターに行く。そこでは少人数だが教育や託児も行なっている。資金が集まるとその分だけ建物や備品を整えていく。決して急いでいない。ダバオ市の約7,000世帯の子供を教育するには学校がすくない。人間にとって識字は重要なことだ。人生に希望を持てなければ非行に走り、犯罪やテロの組織に入るようになるか、怠惰な人間になってしまう。国を興すためには教育を最優先事業しなければならない。
 強い日差しと暑さに熱帯にいることを意識する。町は車の往来が激しく、埃が舞い上がり道路沿いの空気は悪い。JICA(国際協力機構)が建てたメディカル・センターは立派な病院だ。そこでパグアサRCの会員ミンシャが女医として口唇裂の手術に活躍していた。千葉北RCから手術器具用収納ケースが贈呈されていた。病院の裏に廃屋同然の建物を改造してHouse of Hopeと名づけた黄色い建物があった。小児がんの子供と家族が5組ぐらい収容できる。これによって遠いところに住んでいる小児がんに罹病している子供を救うことができる。此処の先生方はアジアの小児がんに罹る子供を少しでも救命することができるモデルケースにしたいと頑張っている。その志に感銘する。
 セントラルダバオRCが関わって小学校内にディアケアー・センターを建てている。まだ床と囲いと屋根しかなく、資金ができるのを待っている。今回のWCS資金から8万円を捻出して窓と扉を設置するそうだ。この小学校は先生12人に対して生徒が566人いる。
 市内から悪路をさらに山中に入りワリンワリンRCが応援して、集落の真ん中にロータリー・コミュニティーセンターと名づけた会館を建てている。20万円を5年がかりでためて昨年5月に建てられたが、電気が無く蛍光灯は点かない。しかし、集落ではあらゆることにこの施設を使い重宝している。足踏みミシンで手芸品や洋服を作っている。リサイクルの一環として手芸品作りを子供達に教えている。料理教室や医療検診にも使うユーティリティホールとなっている。
 19:30ダバオの9RCが参集して歓迎パーティと支援金贈呈式を行なった。3860地区ガバナーのユミさんも昨晩と同じくセブから来て列席していた。彼とは国際協議会でも会っている。私が二年継続してのガバナーであることをすでに知っていた。例年当地区のWCS活動をアレンジしている三宅さん、天野さん、ユミガバナーの素晴らしい挨拶に感心する。瀬川さん、萩野さん、木田さん、小池さん皆日本人で現地のRtnである。ダバオ出張駐在官事務所の三矢一等書記官兼領事も参列していろいろ情報を提供してくれた。岡村さん(佐倉RC)の見事な通訳でアドリブの入った挨拶ができた。彼の地のRCの社会奉仕活動の資金供与をしているのだが、彼らは、単なる要請だけでなく、フイリッピンの現状を少しでも改善しようと言う強い志を持っている。マニラのような都会のRCはいざ知らず、地域のRCは地についた活動をしている。22時に帰る。    
1月20日(日)  21日(月)  マニラから成田へ
 小雨 曇り
 4時起床。また朝食抜きでダバオ空港へと急ぐ。9:30にマニラ空港着、朝食をとる。昼食後マニラのマラテRCの面々から社会奉仕活動のプレゼンテーションを受ける。しかし、内容が教会の設備整備であったのでWCSの趣旨とは違う印象を受けた。今後WCSで協同の事業を行なうとすれば、もっとマラテRCとのコミニュケーションを交わさなければならない。@救急車 Aディアーケアーセンター Bトレーニングセンター(小学校) C中古車椅子 と具体的な要望を提示された。この件については慎重に対処することだ。岡村さんが同時通訳を受け持ち、鈴木委員長が奮闘して長い議論を交わした。雰囲気に圧されない委員長の答弁に感心した。
 時間に追われ、視察団の会合を持てなかったので、夕食前に感想を述べ合う会合を持った。WCS活動はやはり「百聞は一見にしかず」で、直接肌で感じとらないと良く理解できない。また過酷な旅によりお互いの気心が知れてきたこと等々が語られ、ロータリアンでよかった。このミッションに参加してよかったと心から思った。支援するというより現地の子供の喜びの表情や眼の輝きに自分自身、大きな喜びを感じていた。。それぞれの奉仕に携わっている地域の人達から、逆に教えてもらうことが多かった。@急がない。A効率より心を大切にする。B弱者に手を差し伸べる姿勢C良く考えて工夫している。D富者より貧者のほうが美しい心を持っている。E奉仕する喜びをを与えてくれた。F真の幸せについて考えさせられた。フイリッピンの政治情勢、社会情勢が良いほうに向かうことを切に願う。本当の幸せは、お互い助けあい、支えあうことだ。
 翌日、混雑とセキュリティに厳しいマニラ空港を成田に向けて出発。夜8時に到着。このミッションは終わった。しかし、私にとってこのミッションから受けた影響は大きい。
 マニラ空港で機内持ち込みの中にダバオで頂いた記念品に装飾の短剣が入っていた。中身を改めないまま持参したら、セキュリティにひっかかる。通常なら没収だがロータリクラブからの贈りものと言ったら機内預かりにしてくれた。ロータリーのバッジの威力は大きい、内容もそうならなければならないと思った。今回WCS委員会の皆さんや同行の方にお世話になり、感謝と敬意を表したい。
1月23日(水)  千葉北RC10周年記念式典
晴れ 冷え込み厳しい
 ポートタワーホテルにて式典が行なわれた。同クラブにはベテランRtnが多く10周年とは思えない雰囲気と実績を残している。特にWCS活動は活発だ。地区の委員にも多くの委員長、委員を輩出している。地区委員会の活動を盛り上げているのは当地区では一番であると思う。現在は石井地区幹事長と萩庭月担当がいて石井幹事長には大変なお骨折りをかけている。
 アトラクションでは「こまどり姉妹」の歌謡ショウで懐かしい歌を楽しく聴かせてくれた。比較的少人数のクラブだが、活動振りは凄い。
1月24日(木)  佐倉RC訪問   1月25日(金)  勝浦RC訪問
 晴れ 冷たい強風
 昨年来、気になっていたクラブであり、公式訪問の時、会長のお父さんの葬儀の直後のためじっくり話ができなかったので再度訪問した。例会の雰囲気と運営から感じたことを例会後、会長と話をした。後日クラブの会員数人と話合いの場を持つことにした。

 25日は大原RCの井上会長を見舞いながら勝浦RCを訪問した。前日訪問した佐倉RCとのクラブ雰囲気が全く違う。勝浦は皆例会を楽しんでいる。卓話は勝浦高校出身の立川談志門下の落語家二つ目の立川吉幸(キッコウ)さんである。テンポの良い艶話に引き込まれ、思わない楽しい時間を得た。その後、勝浦中でも立川吉幸さんは落語を演じるとのことだ。これも勝浦RCの社会奉仕活動の一端である。
1月27日(日)  地区R財団次年度委員長会議
 小雨
 地区R財団次年度委員長会議がオータニホテルにて開催された。いよいよ次年度の始まりを感じる。昨年はサンディゴで開催する国際協議会に二回目の出席のため出発した日だった。その時の心境は、地区幹事団はじめ何も決まっていない不安と焦慮に駆られ、責任が重くのしかかっていた。その中にかすかな希望と決意を抱いていたことを憶えている。「歳月人を待たず」、あれから1年たった。崎山エレクトが李東建RI会長エレクトのRIテーマとその内容を伝えた。
 委員長会議の内容は年々良くなっている。財団奨学生の発表、学友のアドバイスなど優秀な若者だ。Rtnとしてこのような活動に参加できていることに強い喜びが得られるようになっている自分に気付く。ロータリーに関わっている間に変化してきている。ロータリーには不思議な力(魔力)があるものだ。
1月の終わり
 あっという間に過ぎていった。今月のハイライトはWCSでフイリッピン視察のミッションに家内と一緒に参加したことである。これからもWCSにつよい関心を持ちたい。
28日に初台のオペラシテイで佐藤のりこさんのリサイタルがあったので行った。年々向上している素晴らしい歌唱力に魅せられ、佐藤さんの独特なトークにリラックスできた。佐藤さんはこの地区では中学生を対象にした愛のミニコンサートを開き、中学生の情操教育に大いに貢献している。今は船橋みなとRCが継続して船橋市内の中学校を対象に毎年行なっている。
 29日に地区幹事会・月信担当16名が集まり会議後に会食した。大体3グループに別れロータリー談義に余念がない。素晴らしいことだと思う。