[Return] 2008年5月 ガバナー日記
5月9日(金)  第41回インターアクト指導者講習会
 曇り
 楽しみにしていたゴールデンウイークもあっという間に過ぎてしまい、予定の半分も消化できない始末。それでも久しぶりの休息はありがたい。終日、のらりくらりとリラックスして過したり、茅ヶ崎に行って孫と遊んだりした。
ミャンマーでは大型サイクロンが上陸し、大きな災害をもたらしている。軍事政権下であり、世界各国からの救援隊の入国が難渋していが、いかなる理由があろうと権力者が保身に汲々とする様は醜い強い憤りを感じる。休み明けにも、確実に、有効に使われるところに義捐金を送りたい。
オリンピックの聖火リレーの混乱、重油価格のとどまる気配のない高騰、物価上昇、国内政情の不安定、日銀総裁人事とガソリン税の迷走、諸問題を抱えての胡錦濤国家主席の来日などがあり、先行きの予測は全くできない。全ての分野において情報機器の発達につれグローバル化が進展しているが、利便性と裏腹に新たな問題をも数多く発生している。利便性と効率の追求一辺倒の文明は果たして人類に幸せをもたらすものであろうか。
 今日は次年度へ向けてのインターアクト指導者講習会が東天紅にて60名ぐらいのアクターと次年度役員、顧問の先生、それにクラブの委員によって開催された。次年度活動について協議する筈なのに、その点の詰めが少し甘いようだ。8月に行なわれる年次大会の案内をするホストIACの会長発言の内容に疑問を持つ。顧問教師はその内容を知っているのだろうか。IAの活動の方法をしっかり協議し、情報を交換し、あるべきIACの活動に供しなければならないと思う。委員会の準備は何時もながら素晴らしいだけに、内容に今ひとつインパクトが欲しかった。
 17時からの地区大会記念誌編集会議前に、チャリティ・ディナーショウのチケット販売状況報告があった。ほぼ完売である。幹事団の努力に感謝する。これで各分区のチャリティゴルフと地区大会の寄付とを合算して千葉県教育庁教育振興部保健課へAED設置費用に使う目標額100万円を達成できた。
 記念誌は最後の編集会議であり、それぞれが校正したのを一つに纏めることが出来た。後は印刷の出来上がるのを待つのみだ。ここでも編集委員の熱意と印刷会社の誠意に感謝する。
5月10日(土)  米山奨学生・カウンセラーオリエンテーション
 小雨
 ペリエにて14:00から開始、今年は16名の新奨学生が誕生した。奨学生である確約書にサインしていただき奨学生のバッジを手渡す。36名の中から選抜された学生であり、出身は6カ国に及んでいる。皆の顔は輝いている。カウンセラーは保護者然として、奨学生を自分の息子か娘のようにしている様子が微笑ましい。委員会の注意事項の説明に一緒に頷いていた。平山理事、森島監事のお話は何時もながら感心する。
 ガバナーエレクトが未定でどのような結末になるのか、重大な関心事であった第2720地区(熊本・大分)の月信に杉谷ガバナーがその雑感に「1年間は、私の人生において予想できない様々な体験をさせていただいております。決して良いことばかりではありません。ロータリー以前の人間の醜さに、私は戸惑いと失望に打ちのめされた・・・」とありました。杉田ガバナーが心情を吐露していましたが、全く同感である。
 4つのテストを唱えているだけではなにもならない。日頃私達は言行一致するように訓練し、欲望からの離脱を図っているのにと思うことがある。杉谷さんのご健闘とご健康を心から祈る。
5月12日(月)  日台ロータリー親善会議
 曇り
 第1回日台親善会議がホテルパシフイック東京で行なわれた。季節外れの寒さに観光を兼ねている台湾からのロータリアンには気の毒であった。台湾側から158名のロータリアンと644名の日本のロータリアンが一同に参集した。昨年台北での事前協義をして基本的な取り決めをしていた。@空港への送迎をしない、A会議登録料、宿泊費(宿泊ホテルの確保のみ)、観光費用、交通費は一切自己負担、B相互の土産、贈りものなし、Cパーティは一回のみ。この4項目は過熱気味のクラブ同士の親善交流にも参考になると思う。
 林さんは挨拶の中で、台湾は日本の統治時代に近代化への素地が作られたことに感謝の意を表していた。特に日本人土木技師であり、農業技師であった 八田與一さんが烏山頭ダムや嘉南大州の灌漑工事によって不毛の地を一大穀倉地帯に変えたことを話してくれた。当時としては世界の最先端をいっていた技術と工事機械を駆使して完成させたという。「嘉南大州の父」として銅像を建て、その偉業を称えて恩を忘れないでいる。一昨年に訪台したとき、李登輝元総統からも八田與一さんの事を聞いていたはじめて知った。その後、李登輝さんの著書「武士道解題」に慶応大学で講演する予定になっていた講演原稿が付録に載っていた。それを見て八田與一さんのことをよく知った。嘉南大州に是非行って見たい。果たして日本では八田與一さんのことを知っている人はどの位いるのだろうかと思う。
 ロータリーで台湾に行った時、米山奨学生の学友会の人たちが各方面にに亘り素晴らしい活躍をしていた。そして彼らの少しでも恩を返したいという気持ちが痛いほど伝わってきた。ここ数年台湾との交流は大変気持ちの良いものだった。今日の会議においても「藝○座」の演奏する素晴らしい邦楽を充分に堪能させて頂き、同じテーブルの台湾女性Rtn(同じ年齢、達者な日本語)との会話も楽しかった 。ロータリーからの恩恵だ。 
5月14日(水) 第2790地区AED普及チャリティ・コンサート
 時々小雨
 県内公共施設にAEDの普及を促進するためにチャリティ・ディナー・コンサートをザ・マンハッタンホテルにて開催した。今年は芹 洋子さんのコンサートで行なった。ゴールデンウィークを挟んでのチケット販売だけに幹事団にはご苦労をお掛けした。しかし230の席は満席となり、盛会であった。ホテルの食事と飲み物の良さに加え、芹さんの誠実なステージに来客者は満足されたようなので安心した。昨年に続き、今年も石井幹事長を初めとする幹事団のお陰で初期の目的を達した。地区大会の冗費を節約した金額と分区毎のチャリティ・ゴルフの金額に加えて今日のチャリティ額を併せると100万円を超える額になる。AEDを購入して施設か学校に設置できる。多謝。
中国四川省の大地震の被害が拡大している。日本の救助隊を受け入れないようだが、これまた不思議なことだ。ミャンマーに被害者義捐金の準備をしていたのに、急遽四川省被害者への義捐金をも一緒に各クラブにお願いして募ることにした。双方ともロータリークラブが存在しない。何処に義捐金を送金するかが問題だ。各方面に相談して送金を考えることにする。
5月13日(火)  第2分区6クラブ合同例会
 雨
 不順な雨が続いている。第2分区6クラブ合同例会に招かれる。女流仏画家の安達原 玄さんの1時間の卓話があり、魅了された。八ヶ岳を眺望できる山梨県北杜市高根町にある安達原玄仏画美術館の館長をしている80歳になる方で、演題は「微笑を世界に」であった。
 
「人は誰でもひとつ  最高の造形芸術をつくりあげる  それは自分の顔である
 両親からいただいた顔は  心のもちかたひとつで変わっていく  感謝して磨いて  けずって
 きらきら光り輝く  優しさに満ち溢れた  顔をつくりあげたい  さて、わたしの顔は
 あなたに顔は」                 (美術館のリーフレットに載っていた詩)

 赤ちゃんは天真爛漫な表情をしている。これは世界共通である。このような無心な笑顔を引き戻したい。本当の悲しみをもった人こそ、にっこりと微笑ができるのではないか。それが観音様の微笑であり、日本人の精神文化であるといわれた。無限の優しさを含む微笑はつつましく、日本人だけしか持っていない特性である。つつましさは、思想・哲学を究めるところから学べる深みのある優しさのことである。これは学究的に学ぶということではない、日常茶飯事のことにおいて無心なり、行動するところから生まれ、身に付くものだという。TVにでてくる笑いには品性の無い笑いが多い、日本の微笑はそんな笑いではなく、仏を心の中に秘めた笑いが微笑である。その微笑を世界に広めたい。日常の生活に微笑を絶やさない訓練が大切だと話された。
 「一語にして尽くせる最高の説教は、「微笑」という説教だ」といったボール・ハリスがの言葉が思いだされた。
5月15日(木)  館山ベイRC15周年記念例会
 晴れ
 久しぶりの五月晴れである。中国四川大地震の被害は拡大し続けている。その発生したエネルギーは阪神大地震の30倍に匹敵するという。日本のレスキュー隊も出動した。ミャンマーは依然として救援隊の入国を阻んでいる。地区では義捐金を募ることにした。送金先を慎重に調べ、有効かつ確実であるところに送金したい。
館山ベイRC15周年記念例会に出席した。バブル経済崩壊後の大変な時期であったにも拘らず、創立時には58名の会員であった。この創立会員の数は記録的なものだろう。4人の創立会員が在籍しているが、当時の活躍に敬意を表したい。その後全国的な傾向だが会員数は減少を辿り、いま28名となっている。
岡本会長は今春の選抜高等学校野球大会に県立安房高等学校が出場し、応援した時の感動が忘れられないといい、安房高校野球部のモットー「常に全力を!」をクラブ運営に活かすことを誓い会員に呼びかけた。
日本のベイと名の付く6つのロータリークラブがベイクラブ友好関係を結んでいる。東京、神戸、鈴鹿、横浜の各ベイRCのロータリアンが出席し、祝福していた。羨ましい友好関係だ。
5月16日(金)  第1回青少年育成委員会(JYDC)
 晴れ
 第1回青少年育成委員会がグランドプリンスホテル新高輪で開催された。7名の会議であったが、内容は新世代育成活動の中の職場体験に関することと、この委員会を存続すべきか否かの会議であった。45分間であったが、内容の濃い会議であった。
 引き続いて全国青少年育成委員会議が、各地区の新世代委員長を中心に27名の出席のもとに開催された。第2750地区八王子南RCの神山インターンシップ委員長により、職場体験学習の実践例の発表があった。東京都教育委員会とタイアップして地域の実業高校の二年生を対象に実施し、生徒、学校、保護者、ロータリーに取って効果的な成果を収めた。経費はかからず、ロータリーらしい活動であり、PRに大きく貢献している。従来の職場体験をより充実した規模の大きい素晴らしいプロジェクトである。当地区でも採り上げたいと思う。
 その後、4つのテーブルに分かれてテーブルディスカッションを行なった。テーマは「ロータリーは青少年に対し『いのち』をどう語りかけるか」であり、少し間口が広いきらいがあったが、各テーブルでは熱心に討議していた。まとめを発表したが、内容ある案や実例、青少年の教育の基本的な考え方等々の発表に感心した。「このまま放っていたら日本の将来は無い、これはロータリーについても同じことが言える」といったテーブルもあった。時の経過を忘れる時間であった。素晴らしいロータリーらしい会議に充足感を覚えた。この委員会の存続は無くともこのような会合を開くことは必要であると思う。
5月17日(土)  千葉緑RC10周年記念例会
 晴れ
 オークラ千葉ホテルにて千葉緑RC10周年記念例会が行なわれ出席する。千葉南RCがスポンサーである。二年目にして韓国の済州RCと姉妹関係になり、横浜緑RCと友好関係を結ぶ。
 今回の記念事業として済州RC,横浜緑RCとマッチンググラントを組み、時計塔の建立、韓国済州島の学校へ、設備や備品の寄贈、米山奨学会、R財団への特別寄付、地元ボーイスカウト、少年野球協会、少年サッカー協会への寄付と実に多額の寄付をされていた。アトラクションでは韓国舞踊 サムルノリ があり大変なものであった。
 この10周年例会を機にさらに一段と発展されることを祈る。
5月21日  木更津東RC40周年記念式典
 晴れ
 台風4号の接近で空の雲行き怪しい19日、20日と友人4人で別所温泉に行った。上田城址を見学し、信州蕎麦をたらふく食い、ゆっくり温泉浸かり、のんびりと二日間を過した。温泉の効果なのだろうか。それとも気持ちにゆとりができたからだろうか、自律神経が正常に作動してきたように感じた。
 ようやく五月晴れとなる。木更津東RC40周年記念式典に家内と共に出席。四国の坂出東RCとの姉妹関係締結20周年の記念式典でもあるという。坂出東RCから17名のメンバーが来ていた。20年前に東京湾アクアラインの工事が着手された時、横断橋よって街がどのように変貌するかを学ぶために、同じ環境下にある坂出東RCに連絡したところ即座に回答があり、姉妹関係を締結したという。
 祝賀会ではソプラノ歌手大岩千穂さんが歌うオペラのアリア、抒情歌など素晴らしい声で歌ってくれた。本物を生で聴けることは心が癒され、至福のひと時だ。ピアノ伴奏の勝呂真也さんは勝呂会員のお嬢さんであるという。素晴らしいコンサートに聞き惚れる。
 何時も思うことだが、ガバナーでいる間は最高の席に座れることはありがたいことだ。
5月23日(金)  地区社会奉仕委員会セミナー
 晴れ
 今日は、初夏を思わせるような天候でとても爽やかな一日であった。地区社会奉仕委員会が遅まきの下期の委員会セミナーを開催したが、タイミングが悪い。いまさら委員会とは何だということで、参加者が少ない。河合委員長の一年間の話、夏に講演された関場さんの話の中からいくつか取り上げての実践活動の話は見事であった。
 その後の熊坂様ご夫妻が交互に歌い、岸本さんがピアノ伴奏する流山RCの音楽慰問団が数々の懐かしい歌を歌ってくれた。大変楽しく、為になったユニークな研修会であった。夜にはホームクラブの次年度へ向けての会合に出席、次年度はSAAの役だ。久しぶりにクラブの会議に出席したが良いものだ。他のクラブとの比較ができて自クラブの棚卸しを頭の中でできる。一クラブ会員として務めて行くつもりだ。
5月24日(土)〜25(日)  第13回日本青少年交換研究会
 雨 翌日 小雨のち曇り
 国立オリンピック記念青少年総合センターにて開催される。全国からガバナー、エレクト、新世代育成委員長、ROTEXの役員、台湾からも10名ぐらい参加し、総勢314名の出席だった。 このほか青少年交換事業の第1回派遣学生(昭和37年)だった5人、5カ国からの在日ROTEXも参加していた。
 第1日目の会議は青少年交換虐待とハラスメント(嫌がらせ)の会議に終始する。危機管理の中の保険について準備された委員会の方々のご苦労に感謝の意を表したい。
質問者にとって重要事なのかもしれないが、あまりにも稀なケースを上げてのことであり、対象を拡大すべきことの進言が多かった。これも1億総クレイマーといわれている世相を反映しているからだろう。
 今回の保険は、青少年交換学生のセクハラ訴訟のみに適用し、100万の掛け金で1億円の賠償金を担保することになっている。 危機管理は必要なことであるが、ロータリアンのグレードアップを図ることも肝心である。ロータリアン同士の子弟交換から始まった事業であるだけに、このような保険を設定しなければならないことは残念である。
 第1期(1962年)交換学生であった5人が、それぞれ46年前の体験と、その体験が人生に大きく影響していることを異口同音に話していた。彼らは全員オーストラリヤに派遣されていた。多くのロータリアンがこの体験談を聞くことが出来たら良いと思う。
 その夜、立食パーティあり、蒸し暑い中のパーティに少々参る。
 翌日は9時に始まる。「ROTEXとの共存」のテーマでパネリストの関場さん、RIRYLAの海沼さん、ROTEXの岡部さんが土井さんのモデレーターで「青少年学友会の設立」「ロータリアンからの要望」「ROTEXからの発言」について話された。ロータリーとROTEXの共存を今以上に図るべきである。ロータリアンは交換学生事業における情熱を再び掻き立てることだ。帰国後の交換学生の姿があまり見えないことも問題である。ROTEXが母校に赴いて後輩に交換学生の経験談を話すことなど、有益な話やアドバイスで素晴らしい会議となった。出席者には、この事業を継続し、発展させようとする熱気がひしひしと伝わってきた。残念なことは昨日の会議で帰ってしまった人が多いことだ。
 二時になりようやく昼食を採り、解散する。ロータリーらしい会議に感動すら覚えた。
5月27日(火)  第9回 アートフレンズ展
 晴れ
 五月晴れだ。千葉幕張RC主催の障害を持ちながらアートする中学生以上の人の作品展が千葉市美術館9階市民ギャラリーで「第9回 アートフレンズ展」と銘打って開催される。オープニングセレモニーに家内と共に参列する。今年は堂本千葉県知事も出席し挨拶された。
 このアートフレンズ展は9年に及ぶ事業で、アートする障害者にとっては作品を展示できる場である。その喜びを全身で表現していた。作品は240点におよび、年々出品数は増えている。その作品には目を見張るものが多く、心打たれるものがある。
 出品者一人ひとりのたどたどしい自己紹介と保護者の感謝のことばに感動をおぼえる。出品者に希望を与え、見る者にも作品を通して感激を与える、これは素晴らしいプロジェクトだ。その業績を称え「意義ある会長賞」をRIに申請しておいた。三日前に届き、オープニングセレモニーで発表でき花を添えることが出来て本当に良かった。クラブ会員はもちろんのこと知事までが喜んでくれた。
5月29日(木)  流山RC45周年記念例会
 雨 
 夜6時から流山RC45周年記念例会が行なわれ、第13分区内クラブの会長・幹事、吉田ガバナー補佐と私が来賓であった。卓話として指名された。ガバナーノミニーを引き受けることから二期に及んだガバナーの任期で「家内と私の関係の変化」について述べた。
 差し迫った状況から、今までの関係ではとても責務を全うできそうもないことから、どうしたら家内の協力を得られるかに腐心した。今までの生きかた、家族のありかた、夫婦間の美しい関係のありかた、言行一致の努力などについて無心になり、謙虚に反省せざるをえない状況に圧し込まれたことから、変わってきた自分の言動、行為、心の変化など具体的に喋ってしまい、卓話は私の懺悔となってしまった。
 この変化は100%私にだけあったもので、家内は私の変化に応じて対応してくれたに過ぎない。欲望の自己制御とか、寛容であれとか、愛について云々とか、ロータリーではことある毎に学んでいる筈なのに、机上の空論に終わっていたのであろう。
 今度は否が応でも実際に適用して、利益追求を旨とする市場原理資本主義のしみついた垢をロータリー哲学や職業奉仕によって払拭しなければならなかった。
 こんなことを考えると、私にとって、ガバナーをさせて頂いたことは運がよかったのではないかと思う。それも連続で。これがロータリーのマジックであり、大きなプレゼントの一つであると思った。       
5月31日(土)  市川東RC40周年記念式典
 雨
 冷たい雨が続いている。ディズニーランドで賑わう舞浜の駅を下りて、車で市川東RC40周年記念式典会場であるホテルオークラ東京ベイに家内と向かう。今回は長島PGの肝煎りで家内を同伴してくるように言われた。年度内に15クラブぐらいの記念式典があるが、夫婦同伴は2〜3回しかない。それも今年度の周年記念式典の最終回に当たり、私にとってはガバナーとして公式に出席し、挨拶する最後となった。一昨年の12月12日に83クラブ公式訪問の最後のクラブが市川東RCであり、慰労を兼ねた小パーティを開いてくれた。今回は最上級のフランス料理のフルコースでガバナーとして最後の出席となる。
 姉妹クラブの韓国ソウル東RCから36名、台北市北投RCから62名のロータリアンと家族が来て記念式典を賑やかにしていた。出席率100%のクラブは勢いが違う。四大奉仕をバランスよく実践しているからだ。模範とすべきクラブである。
 市川市立鬼高小学校管弦学部の5.6年生による演奏があった。最前列で聴いていたのだが、生徒が懸命に演奏する姿を見て感動した。熱さましシートをおでこに張って頑張っている生徒もいた。全国大会で何回も1位になっている実績ある演奏を生で聴いているうちに、二年間の思い出が走馬灯のように浮かんで思わず涙ぐんでしまった。
 素晴らしい式典に感銘し、管弦楽に涙し、最高のフランス料理を堪能し、今年度の公式の任務を終了した。帰り道、ディズニーランドで上げる花火が頭上に炸裂し、音と共に夜空に美しいシルエットを描いていた。
5月の終わり
 友人との1泊2日の温泉行き、1日のゴルフプレーは楽しかったが、ゴールデン・ウイーク後の日程は温泉行きとゴルフ以外は殆ど詰まっていた。任期は、後、幾日と数える始末。予定通り地区大会記念誌が出来上がり6月早々に配送できることになった。ミャンマーのサイクロンの被害者、中国四川大地震の被害者への義捐金が決まり、義捐金の送金手段を調査したところ格好のところがあり、そこに委託することにした。
 ひとつは四川省にある楽山市と姉妹関係にある市川市だ。楽山市出身で中国の文学者であり、政治家であった郭沫若(かくまつじゃく)さんが、日本に留学してから中国に帰国し、蒋介石から追われる身となると再び日本に亡命して市川市に居住していた。盧溝橋事件が勃発し日中戦争に突入すると、妻子を残して中国に帰国して、新中国誕生後の政務院副総理など中枢で活躍した人である。市川市が現地に赴いて義捐金を持参するという。四川省には300万円である。
 もうひとつはミャンマーに世界奉仕活動を続けている船橋東RCの金子賢一さんのグループに委託することにする。@現地災害対策本部 A医師会 B宗教省の三つに分けて支援する予定だ。医薬品を携行しながら6月20日〜23日ミャンマーに入る。2万USドルを予定している。
 この他、3つのチャリテイの総額が120万円に達したのでAED4基を千葉県の施設に寄贈することになった。これも6月中旬に贈呈式を行なう。県教育庁の職員がロータリーとはいかなる団体であるかを知りたいという。資料と共に説明し、県の広報などに紹介してくれるという。
 5月は義捐金の醵金、AED贈呈のための各種チャリティをして頂いた地区ロータリアンのご協力に深く感謝したい。感謝に明け、感謝に暮れた5月であった。